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9件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1991-10-01 第121回国会 参議院 建設委員会 第2号

このように、今日の長良川の姿がいわゆる明治三川分流工事によってつくられた全くの人工河川であるということであります。この魅力ある自然環境豊かな河川と評価されておる長良川の今日のたたずまい、それはそのように長年かかってつくり上げられ維持されてきたからにほかならないということであると思います。

井上章平

1989-11-30 第116回国会 参議院 建設委員会 第2号

承知のとおり、江戸時代にはたび重なる出水、とりわけ宝暦三年の大洪水を契機に、幕府の命により薩摩藩による宝暦治水工事が行われ、木曽川長良川揖斐川のいわゆる三川分流工事が着手されたものでございます。これらの工事はさらに明治時代に入っても引き続き行われ、オランダ人ヨハネス・デ・レーケを招き、明治二十年より木曽川下流改修工事が着手され、木曽三川分流工事はさらに続けられたわけでございます。  

近藤徹

1959-08-24 第32回国会 衆議院 農林水産委員会 第8号

これも農林当局特に耕地関係の方は御承知の、揖斐長良木曽の三大川が伊勢湾に落ちる一番の下には、三川分流工事として、宝暦年間に徳川幕府が外様の雄藩薩摩弱体化工作のためにやりました大きな治水事業の跡が残っております。千本松原という一種の名所として残っておりますが、ここだけは不思議に切れません。

三田村武夫

1947-10-10 第1回国会 衆議院 国土計画委員会 第16号

江合川鳴瀬に切りおとすという當初の計畫のときに、江合川に全然水をやらないという計畫であつたのでありますけれども、鳴瀬川改修後における状況から見ますと、江合川の水を全部鳴瀬川に合流すると、鳴瀬では全然もち切れないということがわかつたので、今後の改修といたしましては、お説のとおりに江合川はやはり江合川のある一部分だけをもたして、切りおとし工事によつて江合川の大部分の水を鳴瀬川の方にもたそう、いわゆる分流工事

岩沢忠恭

1947-10-10 第1回国会 衆議院 国土計画委員会 第16号

○岩沢政府委員 ただいま木曽揖斐長良三川につきましては御説明になりました通りに、この濃尾平原を通過する三川はわが國におきましても最も治水のむずかしい河川でありましたので、政府におきましても命じに十年から、初めて直轄工事行つたにがこの木曽長良揖斐三川分流工事であつたのであります。

岩沢忠恭

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