2020-05-15 第201回国会 衆議院 国土交通委員会 第12号
七〇〇年代には大阪湾への分流工事というのが試みられるなど、その治水の歴史というのは非常に古く、江戸時代には大規模なつけかえ工事も実施されて、そうしたハード対策を積み重ねてきた結果、現在は、ありがたいことに、大きな水害というのは余り起こらなくなりました。
七〇〇年代には大阪湾への分流工事というのが試みられるなど、その治水の歴史というのは非常に古く、江戸時代には大規模なつけかえ工事も実施されて、そうしたハード対策を積み重ねてきた結果、現在は、ありがたいことに、大きな水害というのは余り起こらなくなりました。
このような治水の歴史を何とか打開すべく、先生も御承知のとおり、宝暦治水において三川分流の計画を立て、かつ、明治におきましては、オランダの技師デレーケによって三川分流工事を企画し、現在に至っておるわけでございます。
このように、今日の長良川の姿がいわゆる明治の三川分流工事によってつくられた全くの人工河川であるということであります。この魅力ある自然環境豊かな河川と評価されておる長良川の今日のたたずまい、それはそのように長年かかってつくり上げられ維持されてきたからにほかならないということであると思います。
御承知のとおり、江戸時代にはたび重なる出水、とりわけ宝暦三年の大洪水を契機に、幕府の命により薩摩藩による宝暦の治水工事が行われ、木曽川、長良川、揖斐川のいわゆる三川分流工事が着手されたものでございます。これらの工事はさらに明治時代に入っても引き続き行われ、オランダ人ヨハネス・デ・レーケを招き、明治二十年より木曽川下流改修工事が着手され、木曽三川の分流工事はさらに続けられたわけでございます。
これも農林当局特に耕地関係の方は御承知の、揖斐、長良、木曽の三大川が伊勢湾に落ちる一番の下には、三川分流工事として、宝暦年間に徳川幕府が外様の雄藩薩摩の弱体化工作のためにやりました大きな治水事業の跡が残っております。千本松原という一種の名所として残っておりますが、ここだけは不思議に切れません。
木曾川の方は今申上げた通りに、ただ下流だけですから、これをもつと本当に仕上げなければならんという必要もあつたのでありますけれども、これも国としては重要な仕事であるという意味合から、木曾川下流の三用分流工事という第一着手にかかられたのであります。
(一)水害復旧に対して十分なる國庫補助実行予算を計上すること(二)利根川根本治水計画を急速に樹立し、江戸川への完全な分流工事を施行すること(三)利根川應急三箇年事業を急速に施施すること(四)北利根川及び常陸川筋の改修を國直轄をもつて本年度より施行すること。
江合川を鳴瀬に切りおとすという當初の計畫のときに、江合川に全然水をやらないという計畫であつたのでありますけれども、鳴瀬川の改修後における状況から見ますと、江合川の水を全部鳴瀬川に合流すると、鳴瀬では全然もち切れないということがわかつたので、今後の改修といたしましては、お説のとおりに江合川はやはり江合川のある一部分だけをもたして、切りおとし工事によつて江合川の大部分の水を鳴瀬川の方にもたそう、いわゆる分流工事
○岩沢政府委員 ただいま木曽、揖斐、長良の三川につきましては御説明になりました通りに、この濃尾平原を通過する三川はわが國におきましても最も治水のむずかしい河川でありましたので、政府におきましても命じに十年から、初めて直轄工事を行つたにがこの木曽、長良、揖斐の三川分流工事であつたのであります。